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 文字と美術の関わりを考えた時、そのあらわれ方は、カリグラフィックな文字(「書」に代表される手書き文字)とタイポグラフィックな文字(活字)の二種類に大別されよう。
 元来、文字と画像イメ−ジとを峻別してこなかった東洋美術においては、文様のように文字そのものを意匠化したり、詩画軸の絵画と賛、屏風絵と和歌の色絵型、絵巻物の絵画と詞などのように、巧みに画像と文字を組み合わせた表現が多く行われてきた。文字だけが独立して「書」という視覚芸術に発展したのは東洋だけであろう。いずれも文字は、古来よりカリグラフィーによって、美術の世界に豊かな実りを添えてきたのである。
 一方、西洋美術において、文字が美術作品に見られるのは、近代に入ってからのことであった。最初に取り込んだのは、キュビストたちだといわれている。彼らは、新聞や商品のラベル、広告などの印刷物の字体を、当初は手書きやステンシルによって移し取り、やがて実物のコラージュの利用へと進んでいった。それは美術史上の公式見解としては「分析的キュビスムから総合的キュビスムに至る際に、現実の事物を持ち込むことによって、抽象化され過ぎてしまった画面に現実とのつながりを回復させようとする手段」ということになるだろう。彼らは読まれる言葉としての文字ではなく、純粋な視覚的対象として文字を選んだのである。使用される新聞や商品のレベルとは当然のことながら印刷物であり、活字としての文字である。つまり、「ピカソは結果として絵画の中の文字を、カリグラフィーからタイポグラフィ−へと転化させたことになる」註1
 振り返ってみるとこの影響は大きく、西洋美術の基盤の上に築かれた20世紀の美術においては、カリグラフィックな文字は、抽象表現主義の身振りの絵画の中に、わずかに「文字性」として(可読性を指向した「文字」ではなく)その痕跡をとどめるに過ぎず、現代における美術作品のほとんどがタイポグラフィックな文字を採用している。
 例えば、抽象表現主義の名残りが強いジャスパー・ジョーンズの《地図》にしてすら、原色の激しいタッチの中に、一見遊離するようなステンシルによるタイポグラフィーで「RED」「YELLOW」「WHITE」と刷られている。これはジョーンズにとっては、絵筆によらない、純粋な記号を絵画表現にもちこむという重要な意味を持っていた。また、マス・メディアに流通するイメ−ジを臆面もなくそのまま流用する、ウォーホルやリキテンシュタイン、前田守一、三島喜美代などのポップ・ア−トでは、商品のラベル、マンガ、新聞・雑誌などの通俗的な文字を意図的に使用し、イメージの価値を逆転させるのに役立たせた。
 コンセプチュアル・アート(概念美術)においては、カリグラフィックな文字が登場することはさらに稀である。ジョセフ・コス−スの《題(アイディアとしてのアイディアとしての芸術)》では、辞書の一項目を取り出すという手段ばかりではなく、語義そのものが問題になるために、クールなタイポグラフィーが採用されている。日めくりカレンダーの一枚一枚を作品化したような河原温のデイト・ペインティング(挿入図版)でも、作者の個人的主張や感情ではなく、あらゆる人間にとって唯一共有できる日付の普遍性が求められるために、タイポグラフィーが選ばれている。高松次郎、岡田博の言語の自己定義性に着目した作品、荒川修作のダイヤグラム絵画もこの系譜に属しよう。いずれも、表情のない無機的な「観念そのもの」が主題とされており、文字の造形的要素や呪術的性格は極力排除されている。
 ジェニー・ホルツァー、バーバラ・クルーガー、ローレンス・ウイナーなどのコンセプチュアル・アートを引き継ぐ世代では、ポリティカルな主張をタイポグラフィックな文字によって語らせている。さらに、サイモン・パターソン、ローター・バウムガルデン、ハミッシュ・フルトン、ローズマリー・トロッケル、ソフィ・カル、宮島達男、イチハラ・ヒロコなど、90年代までの美術においては必要性云々に関わらず、タイポグラフィーの使用例が圧倒的多数を占めるのである。当館では「書」のコレクションに関連して始まった収集方針だけに、カリグラフィックな作品に特に着目して収集しているが、20世紀の美術シーンは逆にタイポグラフィーに彩られていると言える。それだけに、なぜカリグラフィーよりもタイポグラフィーが多いのかを考えることは、文字と美術の関わりを考える上で、決して「付随的な事実と見なすことはできない」註2であろう。
 基本的に純粋なミニマル・ア−トに向かっていったモダニスムにおいては、カリグラフィーの持つ造形性は過剰に過ぎ、時代と相容れない部分があったかもしれない。また、近代都市文化の中では、思考を流通させるのに、より普遍的にみえる活字という共通のコードが必要とされたのかもしれない。さらに、西洋文化の延長線上にあった現代美術の世界では、東洋独自の文字そのものへのこだわりが、一旦は考えの埒外に置かれたという解読も可能であろう。だとすれば、あらゆる価値の相対化が進む21世紀の美術では、カリグラフィックな文字が復活していくのかもしれない註3

 文字と美術の関わりについて考えることは、単に美術の内部にとどまる問題ではなく、文化や時代の意識そのものを見直すことにつながっていく。カリグラフィー、タイポグラフィーの区分もその契機として有効な問題を提示している。当館のコレクションが以上のようなさまざまな文字と美術についての思索が生まれる場となれば幸いである。
元当館主任学芸員 穂積利明
註1 建畠哲「タイポグラフィーと都市のコード」
(『海燕』1991年11月号・第10巻第11号 福武書店)
註2 前掲テキスト
註3 実際に、90年代後半以降の美術においては、マイク・ケリー、ジリアン・ウェアリング、キャシー・ブレンダーガスト、などにカリグラフィー復活の萌芽が見える。